イマ、ナウ、現在、礼。
今は本当に病んでないです。落ち着いてます。安定してます。だからこそ今言います。死にたい。
シンプルに生きるのチョーめんどくさい
好きな人に大事にしてもらえないからとか、友達が少なすぎて全然遊ぶ人がいないからとか、そういうことに限らず、生きる大変さに生きる楽しさが勝てない勝てたことがない
割に合わないよ地球世界日本自分
決めつけ
「三代目(以下略)好きな人はチャラい」
「オタクは暗い」
「クリープハイプ好きな人はメンヘラ」
「ジャニオタはマナー悪い」
こういうの多すぎるから私は生きづらいんですね〜〜 とってもとっても マァとっても
世の中数で決まるのは仕方ないと思います、多数決って手段があるくらいですから仕方ないと思います
でも数が多いだけで反対の意見の人が0人だったよってことにはならないはずでした
なんで0か100かしかないのか
私が0か100を求めるのは、君が私を好きか嫌いかのときだけだ
お前らは何故かそこをハッキリしない「別に恋愛以外の好きもあるっしょ」ねーよ
仮に友達として好きだったら「好き」って言葉を使うな「話してて楽しい」とかにしてくれ
そこは0か100じゃないのに人の容姿では0か100で決めたがるのな
都合いいときだけ「意外に」とか使いやがって 頭ぶっ飛んでんな
これサブカルにも思うしパリピにも思うしオタクにも思う イコール お前らやっぱ頭同じってことだよ
自分の趣味は別に人より優れてない どの趣味も同じくらい良い どの趣味にもとんでもない数の人間(僕たち私たちと同じ人間)が関わってる
そういう目で周り見てる暇あったら自分は周りよりブスだなとかそういう見方してた方がまだ時間有効に使えてる
生きづらい 合ってない 飯がうまいだけ布団が気持ちいいだけの息
ただしいこと
正論はもちろん正しいです。でも正論を押しつけることがいつも正しいわけじゃなくて、もう大人だから臨機応変に対応しなきゃいけない。私みたいな人達は、正論なはずなのに何故かスッと通らないという矛盾にモヤモヤして先に進めないんですね。それを短くまとめると「考えすぎ」になるわけです。終わり。
本当は正論だけじゃだめなのは分かってるし、こうしたら上手くいくってのも分かってるけど、プライドが無駄に高くて、わざわざ自分の意見を消して人に合わせてまで頑張ろうとしないんですよね。クズではないけど頭悪いよね。
生きたいとは思わないし本当に死にたいけど死ねないから死なないでいようね、いぇーい
気持ち悪い
気持ち悪い きもちわるい キモチワルイ きもい キモイ きしょい キショイ おぶつ 汚物 オブツ お仏 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いきもちわるい
こんな気持ち悪いのが自分って信じたくない
気持ち悪い
ぐしゃぐしゃになった紙クズはゴミ箱にしかいけないのに人間はいくらぐしゃぐしゃになろうがゴミ箱にはなかなかたどり着けない
生きることが美談だから
人にぐしゃぐしゃにされたわけじゃないから自分で勝手にぐしゃぐしゃになっただけだからエコを大事にしろって怒られる
こんな気持ち悪い人間の皮着て「こんにちは」とか言いたくない もう言ってしまった 手遅れでした 砂の方が可愛い
ドロドロの何か
ドロドロのドロドロの、お風呂に入ったら一瞬で湯が全部ドロドロに汚れるような
今の体
ドロドロ
気持ち悪い
缶蛙
「あほそうな見た目が好き、実際は真逆で考えすぎだけど」って言われた。
考えすぎって2016年すげぇ言われた。高校卒業して自由な時間が増えて考える時間が増えたからだと思う。
考えごとしてたら余裕で1時間過ぎる。知らない間に何か考えてる。考えて考えて落ち込む。考えて考えて元気になる。それの繰り返し。
みんなは私が考えてる時間に何をしているのか
私が考えごとをしすぎてしまったがために好きな人に距離を置かれてしまった時間、何をしていたのか
みんなどうしてそんな器用に生きれるのか
今しなければいけないこと、一生懸命に取り組んでます。
考えごとしてしまうのはきっともう治らないけど、考えごとをした後の対処法は頑張って変えたつもりでいます。
もう見てもくれないかな。
わかるわかるよ
自分の思考が行動が、自分の思い通りにいかないことへの怒りに耐えられない
なんでこんなに何回も何回も繰り返してしまうのか
自分のことは好きだし自信も多少はある。でもなんというか、とてつもなく憎くてどうしようもない怒りを自分に対して抱いていて、嫌いと言えば嫌いなんだけど、でも自分はいい子だし、好き。なんて言えばいいかわからない。
自分が憎くて、その憎いものを等身大で背負って生きていく日々が苦痛すぎる
早く自分を終えたいのに、思い切りも勇気もない
自分を正面から見つめたくない。クズだと気づきたくない。逃げたい。気づく前に終えたい。失う前に消えたい。
もうどうしたらいいかわからない 助けてほしい
馬鹿は
「君がいない日々なんて考えられない」
「僕には君しかいない」
「baby I love you」
とか、「世界中の誰よりも君が好きだ」とか、世界中の人と1秒でも話したことがあるのかって、世の中は薄っぺらい言葉に溢れていて、なおかつそれにとても感動する人間が存在する。(そっちの人数の方が多いし、そっちの人間の方が人生を楽に楽しく生きている)
「好き」を使わずに「好き」を伝える人の心地良さ
アイネクライネという曲の「閉じた瞼さえ鮮やかに彩るために そのために何が出来るかな あなたの名前を呼んでいいかな」って歌詞みたいに
日本語って素晴らしいなあって思う
でも、「僕たち同じ空の下にいるね」って言われて「うんそうだね」って返して、「君が世界中の敵になっても僕だけは君を守るよ」って言われて「うんありがとう」って返して、「君が好きだよ」って言われて「ありがとう私も好き」って返す、
そこらじゅうに溢れてる馬鹿馬鹿しいことだけど案外気づけなかったりする
ありきたりなことを言われて「ああそうか」って心の底から安心する
そういうことです この社会の仕組みは
その結果に辿り着くのが遅いサブカル達が生きづらいのは当たり前
みんな、もうちょっと、素直に受け入れたらいいと思う。